医師 黒木 弘明

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二〇二〇年 九月二五日(金)

綴りごと 想いごと

怖れとは

私は常々こう申し上げています。

何か自分にとって不都合、不具合があった時、

その時こそ「自分との対話」をする好機です。

極論を言うと、

あなたの身に起きた不都合、不具合は

あなたの中の「怖れ」にも起因しているのです。

そして、その「怖れ」に対処できるのは

他人ではなく、自分しかいないのです。

「自分との対話」が最大の薬なのです。

では、あなたの中の「怖れ」とは何者か?

これは、あなたの心や感受性を覆う

度の強い色眼鏡のようなものです。

あなたから見える世界を

原色ではなく、別の色にしてしまうものです。

例えば、誰かから親切にされたとしても

あなたが「怖れ」と言う、

度の強い色眼鏡をかけていたならば、

人の親切も素直には喜べず、

誰かに愛されていたとしても、

その愛を受け取ることに苦しみ、

自分をも愛することにも苦しむかも知れません。

つまり、あなたの中の「怖れ」によって

あなたの感受性が一部誤作動を起こし、

その結果、あなたが生き苦しくなってしまいます。

ここで良くある質問が、

それはストレスではないですか?

と言うものです。

では「怖れ」と「ストレス」は

どう違うのでしょう?

一般的なストレスの例を出して

その違いを論じてみます。

よくあるストレス。

それは人間関係です。

つまり、嫌な人のことですね。

あなたにとって嫌な人との関わりは

さぞストレスを感じるものでしょう。

ストレスを感じるあなたは、

胃が痛くなったり、不機嫌になるでしょう。

だから、その嫌な人は

あなたのストレス(の源)でしょう。

では、なぜその人が嫌いなのでしょう?

その人の言動、振る舞い、考え方から人間性まで

なぜあなたは嫌いなのでしょう?

そこに関与しているのが「怖れ」です。

違いがお分かりですか?

怒り、悲しみ、嫌悪感などの感情を

あなたに抱かせる、引き金となる出来事や人物が

ストレス源。

それらのストレスを感じるようになった、

あなたの感受性を造っているのが「怖れ」、

という訳です。

「ストレス源」は、自分の外にあり、

「怖れ」は、自分の内にあるのです。

どちらにも対処が必要です。

さて、人間が「怖れ」を抱く時は、

大きく分けて2通りあると、私は考えています。

一つは、自分の命が危うくなる時。

二つ目は、自分の存在意義が危うくなる時。

この二つのいずれかを感じる時、

人間は「怖れ」を感じるのだろうと、考えます。

そして、厄介なことに

あなたが過去のどこかで強く感じた

嫌な出来事、嫌な人物との関わりのうち、

あなたの中で消化できなかったもの、

納得できなかったものなどは、

あなたの意思とは無関係に、

あなたの中に深くインプットされているようです。

あんな体験は二度としたくない!

次からは、あんなことにならないように

事前にストレスを察知して、回避するんだ!

こうしてインプットされた「怖れ」は

あなたを守るために、あなたの感受性に

度の強い色眼鏡を装着するのでしょう。

生きていれば辛いことはあるのは当たり前のことだ!

と、鼻で笑う人もいるでしょうが、

その都度、自分でも気づかないうちに、

度の強い色眼鏡をどんどん着けているのです。

あまりにも色眼鏡を着けすぎると

どうなりますか?

そうです、原色が分からなくなります。

おまけに、度も強すぎるので、

世界が歪んで見えます。

だから、やがて生きづらくなります。

生きるのが苦しくなります。

この状態で、あなたの嫌いな人を

1人や2人、目の前から消し去ったとしても、

次に出逢う人も、度の強い色眼鏡で見ることになります。

お分かりですね?

この度の強い色眼鏡を外さないことには

あなたに見える世界は変わらない、と言うことが。

相手をいくら変えても、

あるいは、世界をどれだけ作り変えても、

色眼鏡が着いているうちは、

それは栓無きことだということです。

それでも多くの人は、ストレスを感じた時

ストレスを感じさせたものを排除しようとします。

確かに、ストレスの元を排除すれば

一時的にストレスは軽減され、

効果があったように見えますし、

ストレス削減に成功した!と思ってしまうでしょう。

しかし、そのままでは、必ずと言って良いほど

再び似たようなストレスが現れます。

色眼鏡をまだ着けていているのですから。

そうやって、無限に自分の周りから

ストレスを排除しているようで

結局は、同じことを繰り返している。

それでは、生き苦しさは変わりません。

だから、この色眼鏡を外しにかかるのです。

自分で「怖れ」と向き合うのです。

あなたの色眼鏡を外すことができるのは

あなただけです。

あなたの着けている色眼鏡の存在に気づくのは

自分との対話の中です。

だから、私は申し上げます。

何か自分にとって不都合、不具合があった時、

その時こそ「自分との対話」をする好機です。

自分との対話をして、

まずは自分の中の「怖れ」を見つけましょう。

自分が着けている色眼鏡を外すこと、

すなわち、「怖れ」を手放すこと、

それが出来るかどうかは、一旦脇に置いて、

まずは「怖れ」を探しましょう。

そのために「自分との対話」をしましょう。

あの人が嫌いだ!

なぜだろう?

あの言い方が嫌いだ、人として許せない!

あの言い方のどこが許せないのだろう?

あの人を見下したような言い方、態度が酷い!

なぜ見下されると、私は嫌なのか?

あんな言い方をされると、私はすごく怒りを感じる

あの言い方が妙に気に障る!

なぜだろう?

↑あくまでも参考↑

前述の「怖れ「を抱く理由の二つ目、

見下されたような言い方によって、

自分の存在意義が危うい!と感じたのかも知れませんね。

ではなぜ、あなたは他人の言葉で

自分が危うい!自分が虐げられている!と感じるのか?

なぜその場から立ち去れないのか?

と自分との対話を続けるのです。

こういう形で、あなたのストレスを

単に「嫌だから!」「嫌いだから!」

「ムカつくから!」「イラつくから!」で済ませず

なぜそう感じるのか?を検証するのが

成熟した「自分との対話」です。

そこに必ず、「怖れ」があるはずです。

いえ、正確には

心の奥底で「怯えている自分」が居るはずです。

あなたのストレスを辿っていくと、

あなたの心の中で

「幼い子どものように、何かに怯えているあなた」

が居るはずなのです。

その子が泣きじゃくっている状態、

泣きじゃくって、何を言っているかも分かりません。

それが「怖れ」を抱いている状態です。

心の中に「怖れ」がたくさん蓄積していると、

心の中が泣いている子どもだらけで、収拾がつかず、

生きることが苦しくなり、生きることが難しくなります。

生きる中で「怖れ」を感じ、

自分を衛るために「怖れ」を記憶したのに、

それが蓄積すると生き苦しくなる、私たち人間。

なんとも皮肉な話です。

お世話に手間のかかる生き物ですが、

可愛い自分なので、やむを得ません。

お世話しましょう。

とにかく、歓びを持って生きることを目指すならば

人間は定期的に「怖れ」を出していく必要があります。

そろそろ「怖れ」が限度いっぱい溜まりましたよ!

このままだと誤作動が酷くなるので、

今から「怖れ」を出す作業を始めてください!

と知らせてくれるアラーム、それがストレスです。

怖れ、怖れ、と言っていますが、

なんのなんの、結局は自分です。

化物ではありません、怖いものではありません。

自分を衛るために覚えた「怖れ」が消えたら、

また自分は再び弱くなってしまうのでは?

という疑問もあるでしょうが、

実は、それも「怖れ」です。

蓄積すると人生を誤作動させる「怖れ」であっても

怖れを恐れず、憎まず、恨まず。

そのための対話をゆっくり始めるのです。

ひとまずは「ストレス」と「怖れ」の違いを

改めて申し上げました。

怖れを抱いている自分との対話については

この次にいたします。