医師 黒木 弘明

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二〇二二年 一一月二九日(火)

綴りごと 想いごと

命として

「人として」という言葉が頻繁に
行き交うようになった気がします。


人として、あの人どうなの?
人としてダメでしょ?


こんな遣われ方をしている気がします。
どちらかと言うと、否定的な文脈の中で
「人として」という言葉が遣わやすいのかな?


それを聞く度に、僕は何だか
ちょっと複雑な気分になる。


人として…人間として…
つまり全人類を定義づける言葉。
う〜ん、僕には簡単には語れない言葉だ。


その言葉が出てくる前には
こんな言葉で代用していた気がする。


「道徳的には」
「人道的には」


それぞれ信じる道徳や道が違うし、
違って良いからこそ、遣わなかった言葉。


思えば、昨今の人間関係は
お互いの「として」が噛み合うかどうか?
で決まってしまう気がする。


社会人として、組織人として…
家庭人として、妻として、夫として…
大人として、子として、親として…
家族として、跡継ぎとして…
女性として、男性として…


例えば、僕がある人と交流を持つ。
僕は「友人として」のつもりでも
向こうが「商売相手として」ならば
この人間関係は噛み合わない。


求めるもの、応えるもの
それが「として」に括られてしまう。


それに気づいたのは昔、ある人から
「お前、日本人として最悪だな」
と言われた時だった。


僕にとって日本人という単語は
日本に棲んでいる人という意味だったが
その人は違ったようだ。


僕たちは、いつしか
自分が放つ「として」という言葉に
人間関係を縛られている気がする。


「〜として」…と言う時
まるで、その言葉が意味する範囲を
全て司っているかのような
そんな全能感が心地よいのだろうか?


つまりアレだ、
自分の意見を言う時に
「みんなそう言ってるよ」
と言うのと同じか。


自分が信奉している「として」を
他人が飲み込んでくれたら仲間、
それが出来なかったら敵、
そういうことか。ふ〜(笑)


貴方はいつも「〜として」暮らしてるの?
「として」の着ぐるみをずっと着てて、
暑くないですか?息苦しくないですか?


どちらかと言うと僕は
「として」着ぐるみの中の
本体の人とお話ししたいんですけど。


って、尋ね返したくなる時もあるなぁ。


着ぐるみの言葉は、流暢だけど冷たい。
本体の言葉は、ぎこちないけど温かい。
まぁ、ケースバイケースか。


として、として、として…
そんなに何でもかんでも
規格に当てはめなくても
心の通い合うお話はできるから
まぁ、お茶でも飲んでよ🍵


「として」と言うのは役割かな。
役割というポジション・居場所なのかな。
ポジションという保護具・鎧なのかもね。


つまり「として」は
自分の居場所を確保して、
他から攻められないようにする為に、
自分の正当性を主張する為の道具かな?


要するに「として」に
保護してもらいたいんだな。
何かが怖いんだな。


こんな世の中、怖いのは凄く分かるけど
もうそろそろ「として」の無い世界があっても
良いんじゃないかな?って思うんですよ、僕は。


人として…と言う前に
まず「として」が無い自分も
大切にしたい気がします、僕は。


重い心は「として」の鎧のせいかもよ。
苦しいのも「として」から来てるのかもよ。


そんな「として」鎧を脱いで裸になって、
安全に素直な想いを打ち明けることのできる、
安心できる、安寧な場所と時間が
やっぱり僕らには必要だよ。


役割の無い自分。
個の自分。
命としての自分。