医師 黒木 弘明

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二〇二〇年 六月七日(日)

綴りごと 想いごと

再発見した自分

いつも教訓めいた言葉を投稿していますが、

今日は少し違うトーンの内容を書こうと思います。

他でもない私自身の話です。

よく私は、

悩みの無い人間として誤解を受けるのですが、実物はそんなことは全くありません。むしろ課題の多いタイプというか、内向的というか、気を付けないと考え過ぎてしまう側面を持ち合わせています。その反面、よくユーモアを交えて喋ったり、直感的で大胆な行動をとったりするので、自分の中に静と動に幅があるというか、バラエティに富んでいるので、自分でさえも自分の特性を捉えるのが難しかったです。

そんな私ですが、

思春期〜青年期はさらに悩み多く、憂鬱でした。人間関係も今ひとつ。それを救ってくれたのが音楽とギターでした。特にギターは「物言わぬ親友」のような存在でした。学生時代の私を「ギターを弾いていないと駄目人間」と揶揄した人も居ました(笑)。

話は変わりますが、

最近は世界のギタリストのレベルが上がって、超絶に上手い人も増えたと思います。そんな中、私は依然として古典的なギター弾きで、世界を見渡した時の私のギター技術の総合偏差値は(冷静な自己判定で)55〜58くらいだと思いますので、プロにはなれない中級者程度だと思います(実物を聴くと数値以上に上手く聴こえます・笑)。フォーク、ブルーズ、ロック、R&Bなどの非常に限定的な分野の音楽が得意なので、オールマイティなプレイヤーではないと思います。

それはさておき、

ギター(特にアコースティック・ギター)を弾いていると私は、気持ちが鎮まります。まるで瞑想をしているような感覚です。何かの楽曲を弾くことは殆どなくて、不思議なことに勝手に指が動いて音を奏でていて、その音を私自身が聴いて楽しんでいる、和んでいる、という具合です。


しかし若い頃は、

誰かに認められたいという想いが強かったせいか、人前でギターを演奏したい欲求も多かったです。ライブなど人前でギターを弾くのは、演奏で場を盛り上げて、聴きに来た人と繋がる意味合いが強いです。他方、独りでギターを弾くのは、自分の内面的な気持ちを鎮め、心の奥底の自分と繋がる作業です。同じギター演奏でも真逆の作業なので、「果たして私は、誰かと繋がりたいのか?それとも内なる自分と会話がしたいのか?」その辺の区別が付かず、若い頃はよく混乱しました。

そんな私ですが、

学校を卒業して社会人になってからというもの、ギターを弾く時間が格段に減ってしまいました。仕事によって時間が無くなったのも有りますが、ギターへの精神的依存をやめること、それが社会人、それが大人になることだと思い込んでいたせいも有ると思います。とにかく積極的に弾く気になれなかったのです。

しかしそれによって、

私の中のバランスの一部が失われてしまっていた、ということに最近気付きました。ギターを弾かなくなった社会人の私は、今思えば、ギターに代わる心の拠り所を探してジタバタしていたように思えます。仕事、地位、経済、業績などがその候補だったのかも知れませんが、当然ギターに代わる『物言わぬ親友』になれる筈がありません。

それがこのウイルス騒動で、

思いのほか時間が生まれてしまい、その結果として、かなり久しぶりに継続的にギターを弾くことが出来るようになりました。ここに書いてきたことも、ギターを再び弾くようになって気付いたことばかりです。

私は今、

これまでの自分(とギターの関係)を俯瞰的に捉えています。今日の時点の私にとって、ギターは非常に個人的なもので、ギターを弾く時間は非常にプライベートな時間です。できれば聴衆や時間を気にせず、自分のために無心に弾いていたいのです。ギターを弾いている日、音楽に触れている日はやはり、調子が良いです。世界が明るく、優しく感じます。

そうです。

僕は「ギターを弾いていないと駄目な人間」なのでしょう。かつて言われた皮肉は当たっています。認めます。でも僕は幸せです。若い頃のようにギターの音で近所に迷惑をかけて、警察を呼ばれるようなことは、今はもうしていません(笑)。ギターと共に僕は幸せです。

それがこのウイルス騒動で

僕が再発見した、価値あることの一つです。

写真のギターは実はもう、20年くらい弾いています。