人が定着しない職場
人財不足の昨今です。そんな時代には
人手が足りないという会社・職場と
人が定着せず辞めていく会社・職場があり、
両者は似ていますが、実は結構違います。
もちろん後者の方が大変です。
せっかく時間と費用をかけて採用した人も
間も無く辞めていくのですから。
それも連続して。
定着しないのは何故か?原因は?
それには個別の事情があるでしょうから
迂闊なことは申し上げられませんが、
私が20年近く様々な職場を診てきた中で
ある一つの共通点があるので、
あくまでも私が個人的に感じた傾向の一つ
として、申し上げることにいたします。
それは、
その会社(職場)に
正義があることです。
正義が正義のままであれば、
問題は無さそうですが、正義には
「それを履行できない者を悪とする」
という厄介な特長があります。
つまり善悪二元論。
そこで働く人は、いかなる事情を持ってしても、
正義を履行できなければ
悪のレッテルを貼られます。
また会社も悪のレッテル貼りを
正義の執行として、躊躇うこともありません。
こうやって働く人と会社・職場の間に
ズレが生まれ、やがて人は去っていきます。
そして去ってゆく人を、正義の方々は
まるで悪が消えたかのごとくに扱います。
このような盲目的な執行の他にも
正義には、修正不可能と強要という
さらに二つの危険性があります。
正義は、絶対的な価値観。
つまりほぼ修正不可能な価値観であり、
他からの助言・意見を聞かないどころか
自らの不備・不具合を認めることができません。
つまり、話し合いができません。
人が去るのは当然かも知れません。
更に厄介なことに、正義は
他者にも同じ価値観になることを求めます。
職場で価値観を強制こそしていなくても、
その価値観を共有できなければ
やがて悪とみなされますので、結果的には
強要あるいは矯正となってしまいます。
働く人の多くは、価値観や信仰ではなく、
仕事と報酬を求めて働きに来るのですから、
求めるものと違うものが返された時、
去ってゆくのは当然かも知れません。
極端なことを言えば正義とは、
執行する側が自らを肯定する為の概念ですので、
正義を振りかざす人の脳内ではドーパミンが出ます。
悪を罰している時、スタッフの陰口を言う時、
業績の悪さやミスを叱咤している時にも
その人の脳内にドーパミンが出るので、
実は怒りながら反面では恍惚になっています。
こうして脳内のドーパミンを求め、
怒ったり不機嫌になるのが癖になり、
何かと怒る理由を探し始める人が増えます。
それをマネジメント・経営・教育と呼ぶ人も居ます。
このようにドーパミンの作用がもたらす、
恍惚感のために正義の執行をやめられない
経営者さんや管理者さんも少なくありません。
それを横目に働く人は去っていきます。
さて経営者・管理者の皆さん、
規律を重んじるお気持ちは分かりますが、
会社・職場のルールを正義ではなく、
方針くらいに留めてみたらどうでしょう?
職場・会社という
別個の価値観を持つ労働者の集まる場所で
一つの方角を示す方針くらいに留めておいて、
修正不可能な正義ではなく、
場合よって修正可能な方針くらいにしませんか?
そして善悪の指標ではなく、あくまでも
チームが向かおうとする方角程度で、
進み具合は、みんなそれぞれ違うことを
大前提にしてみませんか?
採用したら給料分は働いて欲しい、
という経営側のお気持ちも分かりますが
経営側の言う給料分や一人前の概念には
正義の概念が少なからず混じっているのと、
意外と基準が不明確なことも多いです。
仕事の内容や分量は明確な方がスタッフさんにも
分かりやすいですが、不明確な指標で
善悪をつけられるのは、誰しも嫌がります。
まず善悪の前にしっかり向き合いましょう。
仕事ができない状態は悪ではなく結果です。
何か何処かに不調和な部分があるはずです。
ということは軌道修正もできるはず。
しかし正義が強過ぎると、できるはずの
軌道修正ができないので危険なのです。
この内容には多くの経営者様の
異論・反論もあろうかと存じますが、
正義という人造の概念は危険ですよ、
という点だけでもご理解いただきたいです。
そしてそんな正義という人造概念に頼るほど
経営者さん、管理者さんのメンタリティが
疲れているのではないでしょうか?
いかがでしょうか?
ご自身のケアを、もうご自身だけでは
完結できなくなっていませんか?
経営者さん・管理者さんの正義感が強くなる時は、
人も去りますが、同時にマネジメント側の皆さんが
ヘルプサインを出す時かも知れませんよ。
そして冷静にもう一度振り返ってみて下さい。
あなたの職場は人手不足ですか?
それとも人が定着しない職場ですか?
あなたの心は穏やかですか?