医師 黒木 弘明

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二〇二一年 八月一日(日)

綴りごと 想いごと

レナードの朝

Awakenings〜レナードの朝〜
人間はじっとしてられない。
何かを求め続けている。


それが一体何であるのか?
自分が一体何を求めているのか?
それさえも分からぬままに。


とにかく渇く。
とにかく何かが欲しい。


自分の何処が乾いているのか?
自分の何処に空白があるのか?
分からない。


いやそんなことを
調べる暇があったら求めたい。
早く探し物を見つけたい。


こうして
ある者は何かに没頭する。
ある者は自分の庇護者を探す。
ある者は自分を満たすべく励む。


そうすれば、とりあえず
どうしようもない渇きが収まる。


かに見えた。
しかし長くは続かなかった。
落ち着きは取り戻せなかった。


何故だ?自分の何が悪いのか?
何の量が足りないのか?
もっと増やせば良いのか?


ある者はさらに没頭し
ある者はさらに祈り
自分をさらに満たすことを試みた。


しかし上手くいかない。
それどころか後退し始めた。


収まらない渇きに、
怒りと悲しみが重なり
事態は複雑になってきた。


何故だ?何故辿り着けないのだ?
私が何の報いを受けているのだろう?
誰の意にそぐわなかったのか?


もう分からない、
もう考えられない。
もうやめよう。


没頭することも
庇護者を求めることも
自分を満たすことも。


もう動けない。
もう何を求めても無駄だ。


希望という名に期待が混じり、
期待という名の渇望が生まれ、
渇望に隠れた欲望に操られていたのだ。


そんなものは求めても無駄だ。
満たしても無駄だ。もう飽きた。
放っておこう。第一、私はもう動けない。


絶望もない。
幻滅もない。
怒る相手も居ない。


やがて気がついた。
じっとしている自分に。


じっと出来ないはずの自分が
静かにしていることに気づいた。


そうか私は突き動かされるように
何かを求め続けていたが、その実は
自分が何を求めているのか知らなかった。
いや、知ろうとしなかった。


探せば見つかると思った。
満たせば足りると思った。
祈れば赦されると思った。


そうか。
私が探していたのは
安寧だったのかも知れない。


何かを求め、じっとできず
震え続け、求め続ける自分に
真の安寧が欲しかったのだ。


求めるから喧騒が生まれ
安寧が遠ざかっていたのだ。


いつも自分が何を欲しいか?
ばかりを考えていた。
だから自分が何をしているのか?
が分からなかった。


これで良かったのだ。
私は渇望の「塊」から
ありのままの『魂』に戻りつつある。


私は眠りについたのではない。
目醒めつつあるのだ。






もう随分昔に観はじめた映画「レナードの朝」。
心に深く突き刺さり、大きく響くので、
気軽に何度も観たくなるという類の映画ではないが、
僕は昔から録画したり、DVDを確保したりしていた。
昨夜はいつぶりに観たのだろうか?若き日の僕は
この映画で俳優ロビン・ウィリアムズが演じる
セイヤー先生や映画「グッド・ウィル・ハンティング」
のマグワイヤ先生にいつも憧れていたのだった。
いや、あれは憧れではなく、自分の将来像の一部を
予見的に見ていたということが、今ならば分かる。
「人間の魂はどんな薬より強いということです」
とは劇中のセイヤー先生の言葉である。
レナードの朝という邦題も素晴らしい。