医師 黒木 弘明

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二〇二四年 九月一七日(火)

綴りごと 想いごと

ブランド

 

 

有名メーカーの車に乗る、
有名ブランドの鞄を持ち歩く、
有名大学に入学する、
有名企業で働く…

 

 

有名ブランドに惹かれる気持ち、
凄く分かります。そこで質問。

 

 

そこに愛はあるのかな?
ブランドに対する愛はありますか?

 

 

たとえば、貴方がブランド品を身に付ける。

するとブランドの力によって
貴方の自己満足度が高まるかも知れない。

 

 

 

それは全然結構なんですが、
その後、貴方はそのブランドに対して
(お金以外の)愛を返してますか?

 

 

たとえば、有名メーカーの車に乗る。
運転マナーが残念だと、どうなるか?

 

 

「良い車なのにあんな運転じゃ、
見かけ倒しだね」
「あのメーカーの車を運転する人って
だいたい、あんな運転するよね」
という風に世間から言われがちです。

 

 

有名大学でも素行が悪ければ、
「何だ、偏差値だけの学歴か」と言われ、
有名企業でもマナーが悪ければ、
「かえって世間知らずだなぁ」と言われ、
ブランド品を着ていても優しくなければ、
「心が洒落てないね」と言われます。

 

 

愛がなければ
ブランドに満悦している間に
ブランドに泥を塗りながら
自分も泥を被ることになります。

 

 

ブランドを身につけている人も一緒になって
ブランド・イメージを創っているのです。
それは、私たち一人ひとりの生き方が
この地球の未来を創っているのと同じです。

 

 

学歴も、所属も、メーカーも、ブランドも、
自分を格上げしてくれる訳じゃなくて

 

 

自分がそのブランドにふさわしい人間に
なるためのハードルに挑戦することでは?
ブランドを身につけることは
自分の人間レベルを上げていきます!
という意思表示なのでは?

 

 

ブランドで気分を上げるんじゃなくて
人間レベルを上げるキッカケとして
ブランドのチカラをお借りする。

 

 

そして人間レベルを上げることで
ブランドにお返しをする。
その循環が愛。愛の循環。

 

 

大金を出してブランド品を買っても、
試験にパスしてブランドに入っても、
貴方がブランド化した訳ではないよ。

 

 

より深い愛を持つ人間を目指して
ブランドに助けてもらいながら
より一層慎ましやかに
より一層成熟した生き方を目指す。

 

 

それがブランドに対する愛
ではないかな?と思うのです。
それが自分自身がブランドになること
ではないかな?と思います。

 

 

一目置かれる存在とか、
憧れの存在になるとか、
そんなことを気にしてると
愛から遠ざかってしまう。

 

 

森羅万象の一つとしてのブランド。

その力を借りてブランドに学び、

ブランドに敬意を払い、
ブランドの責任の一端を担いながら、

 

 

真の豊かさとは何か?
本当の自分とは何か?
を学んでゆきましょうよ。

 

 

それがブランドと共に生きる
ということではないでしょうか。
なんてね。

 

 

ちなみに私は、地球人という
ブランドを生きながら
愛を学んでいる最中の一介の命です。

 

 

ちなみに私は、地球人という
ブランドを生きながら
愛を学んでいる最中の一介の命です。